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人生は、イス取りゲームなのか?

 

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人生って椅子取りゲームなのでしょうか?

そうだとしたら、ゲームを降りることはできるのでしょうか?

 

 

■ずっと続く椅子取りゲーム 

高校入試や大学入試は、完全な椅子取りゲームです。

定員(椅子の数)が決まっていて、希望者でそれを奪い合います。

 

就職活動も、椅子取りゲームの様相が強まっているようです。

「大企業の採用枠」という優良?な椅子めがけて大勢の学生が殺到しています。

中小企業の椅子は余っているようですが・・・。

 

就職したあとも、限られたポストを巡って、出世レースが繰り広げられます。

 

椅子の数が決まっている以上、「全員が勝者」という状況はありません。

例え参加者がどんなに才能にあふれ、努力家であっても、一定数は「椅子にすわれない人」が出てきてしまいます。

 

こういった椅子取りゲームに勝つことだけを、目標として掲げた場合、「努力は必ず実る」とは言えなくなります。

  

ここで疑問が生じます。

「なんでこんな椅子取りゲームに参加するのか?」

「人生の幸せは、椅子取りゲームの果てにしか得られないものなのか?」

 

 

■ゲームに参加する目的 

普通、人が努力するのは「幸せな人生を送る」ことが目的であって、いい大学に入る、いい企業に就職する、というのは、そのための手段のはずです。

少し前まで、椅子取りゲームに参加することは、「幸せな人生を送る」という目的達成に大変有効でした。

大学入試椅子取りゲームで、いい椅子をゲットできれば、次の就活椅子取りゲームでアドバンテージが得られる。

そして就活椅子取りゲームで、いい椅子に座ることができれば、一生安心して働ける。

それなりに出世し、それなりに給料をもらえ、それなりに「幸せな人生」を送ることができたと思います。

 

しかし、最近はこの椅子取りゲームが、大変殺伐とした雰囲気になっているようです・・・。

原因としては

  • 中小企業はもちろん、大企業であっても、潰れない保証がなくなった。苦労してとった「椅子」が、人生の途中でクラッシュするリスクが高まった。
  • 優秀な外国人が大勢「椅子取りゲーム」に参加するようになった。もしくは企業が椅子そのものを海外に出してしまい、国内の椅子が減り、競争率が激増した。

などが挙げられます。

 

椅子取りゲームに参加する、そもそもの目的は「幸せな人生を送る」ことですので、人生の途中で椅子が壊れてはたまりません。

ますます参加者は「壊れそうにない安全な椅子」に殺到するでしょう。

 

 

■ゲームから降りるという選択肢 

どんどん激化する椅子取りゲーム。

このゲームに勝ち残らないと、幸せな人生を送ることはできないのでしょうか?

そんなことはないはずだ、と私は思います。

「就職時に安全な椅子をゲットすれば一生安泰!」という時代は終わりましたが、その代わり、現代はかつてないほど多様な働き方が可能になりました。

大きな資本がなくても起業できますし、個人で何かを作ったり、ブログを書いたりして収入を得ている人もいます。

地方に移住して、新しい形の農業を模索する人もいます。

趣味でやっていたことが、ハイレベルになりすぎて、仕事の依頼がきてしまった人もいます。

座っている椅子の質ではなく、本人の実力によって評価される、ある意味まっとうな(そしてある意味で大変厳しい)時代になってしまいました。

この世界では、努力は決して無駄にならず、やった分だけ本人の肥やしになります。

学生の勉学も、「いかにしていい椅子をとるか」ではなく、「いかにして稼ぐための実力を身につけるか」に主眼を置くようになるはずです。

 

 

多くの学生が、毎年猛烈に努力して、椅子取りゲームに挑んでいきます。

もちろん、勉学に励むことは大切ですし、学んだことは本人の確かな基盤となるでしょう。

ただ、「椅子がとれなかった」ということで、自信を失ったり、将来を悲観したりしている学生をみると、大変もったいなく思います。

 

椅子取りゲームから、一歩離れて考えてみる。

「自分はどうやって生きていくのか」「どうやって稼ぐか」「自分の強みは何か」ということを、じっくり考える。

自分だけの武器を鍛える。

そういった「自分専用椅子づくり」の視点は、学生のみならず、社会人にとっても重要になってくるのではないか、と思います。