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10年後の自分にネタ帳を贈る

知的生産

 

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最近、世間では「データ」の話題が熱いです。

購入履歴や交通情報、位置データ、検索履歴など、さまざまなデータを膨大に集め、分析することで、ビジネスに活かせる、ということらしい。

なるほどね〜、と思わず感心してしまいます。

しかし、この「データを集める」というコンセプト。

よくよく考えると、企業だけではなく、個人にとっても、とてつもなく大きな可能性を秘めていると思うのです。

 

例えば「この10年間で、感動したこと・閃いたこと・疑問に感じたことのリスト」があったとします。

私はそれを、喉から手が出るほど欲しいと思います。

 

自分は今まで、何に感動してきたのか。

日常生活でふと感じた疑問。

アイデア一歩手前の発想。

悲しかったこと、つらかったこと。

何に触れて、何を考えてきたのか。

 

それらは、自分の個性を把握するための貴重な手がかりであり、本やネットでは絶対に得られない「自分専用の発想の源」になると思うからです。

思いつきの一つ一つは非常にもろく、おそらく数分後には忘れてしまうでしょう。

あとから思い出そうとしても、ほぼ不可能です。

「忘れてしまうようなことだから重要ではない」という意見もありますが、大量に集まってリストになれば、誰もが手にとって読みたくなると思います。

(それは自分の内面の歴史なのですから)

 

こういったデータを残すことは、特段新しい考え方ではなく、「日記」という形ではるか昔からありました。

メモを残すことの重要性は、すでにさんざん語り尽くされています。

ただ、最近のスマートフォン&クラウドサービスの普及が、記録を残していくことのハードルを大きく下げているのではないでしょうか。

(特にエバーノートの便利さは素晴らしい・・・なんでも放り込んでます)

 

 

実際、このデータの重要性には、すでに大勢の人が気づいていて、せっせと蓄積を続けているようです。

ブログを更新し続ける人。

ツイッターでささいな感動をつぶやく人。

5年、10年という時間がたった時、「感動リスト」「ネタ帳」の量は、大変な厚みをもっていると思います。

うらやましい・・・。

 

いしたにまさき氏は著書の中で「ログデータというのは、むしろ未来の自分への投資」であると述べています。

「何か集計したいものを思いついてからデータを収集したのでは遅いし、実りのあるデータになるまでに時間もかかる」、とも。

大変素晴らしい洞察で、まさしくその通りだと思います。

 

大勢の客の購入履歴や検索履歴は、ネット企業にとっては宝の山なのでしょう。

同様に、自分の感動したことリスト、感情のログ、思考のログは、その人にとって必ず宝になると信じています。

何十年も貯めれば、まさしく「俺専用ビッグデータ」になるはずです。

 

私も昨年から、思いついたこと、感動したことをメモするようにしています。

今の私は「10年分の感動したことリスト」を手に入れることはできません。

せめて10年後の私に、そのリストを渡したい。

きっと喜ぶはずです。