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Gumroadが問い直したもの

 

話題沸騰中の決済サービス「Gumroad」。

その特徴の一つに「デジタルデータなら何でも直販できる」というものがあります。

デジタルデータなら、何でも。

 

この「何でも」というところが、たいへん革新的だと思うのです。

 

 

個人がデジタルデータを販売できる、と聞いて、まず思い浮かぶのが「写真」「イラスト」「音楽」でしょうか。

愛好家の裾野が広く、発表・販売の場を求めている方も多いと思います。

その他のモノとしては、「電子書籍」「アプリケーション」「映画」「情報商材」などが考えられます。

インターネットで購入するものとしては、オーソドックスなものですね。

個人で作っている方も多いと思います。

 

ここまでは既存のネットショップや、アップル、アマゾンといったプラットフォームで販売されているモノなので違和感はありません。

 

問題はここからです。

Gumroadは、これまで「商品」の枠に入らなかったモノも、その敷居の低さゆえ、販売の対象にしてしまいます。

 

例えば、プログラムのコード。

ボツになった原稿。

製作過程の実況動画。

読んだ本、見た映画のリスト。

実験レポート(毎日3食○○を食べ続けたときの身体データの推移など)。

自分のライフログ

 

今の時代、情報をデジタル化するのは非常に簡単で、たいていのことはGumroad用商品にすることができます。

「そんなもの誰が買うんだ?」というような、一見無価値なものでも、商品棚に並べることができますし、ひょっとすると、世界のどこかにいるマニアに購入されるかもしれません。

 

上記に挙げたのはほんの一例で、アイデア次第では、もっと面白いモノを販売の対象とすることができると思います。

 

 

これまでは「商品」と「売れそうにないもの」の境界は、けっこうハッキリしていました。

リアル世界の商品は、展示スペースのコストや保管コストがかかるため、「価格は100円で10年に一度売れるか売れないか」というようなモノは「商品」としては明らかに失格でした。

インターネットで販売できる時代が到来しても、プラットフォーム企業から「商品」の種類をある程度制限されていたり、手数料が高すぎたりして、「ニーズがあるかどうかわからない突飛なものを販売する」、というのは現実的ではありませんでした。

 

商品の種類に制限がない。

保管コスト、展示コストがほぼゼロ。

販売可能エリアが(理論上)世界規模。

ネット上で決済可能かつ手数料が安い。

商品の引渡しまでネット上で完結し、配送コストがほぼゼロ。

本人の時間が束縛されない。

 

Gumroadは上記のような、一昔前なら夢物語であった条件をクリアしているため、これまで「商品」として考えられてこなかったものも、商品棚に陳列することができるようになりました。

「商品」と「売れそうにないもの」の境界がぼやけてきたのです。

(逆に「商品にしてはいけないモノ」を意識しないといけなくなりました)

 

ある人にとってはゴミにしか見えないコンテンツも、地球の裏側にいる人から見たら、10ドル払うに値するモノかもしれない。

もちろん、その「世界のどこかにいるマニア」にどうやってPRするか、という問題は残ります。

Gumroadはあくまで決済サービスであり、販促は自分でしなければなりません。

しかし、それでも、一般人がコストゼロでお店をもつことを可能にしたこと、これまでの「商品」の枠組みを取り外し、ロングテールの尻尾をさらに彼方まで伸ばしたことは、大変なインパクトがあると思います。

 

 

私が言いたいことは、何でも商品にできるから、何でもかんでも売り出しましょう、ということではありません。

何でも商品にすることが可能な世界では、逆に「何を商品にするか」が問われるのではないか、と思うのです。

言い換えると、日々の生活の中で、売り出すほどの価値を何に見出すのか。

 

完成原稿ではなく、その過程の試行錯誤に価値がある、と考える作家は、推敲過程の原稿を販売するかもしれません。

作品の完成までにどれほどの苦しみがあるかを若者に教えたい、というクリエイターは、七転八倒するその製作過程を録画するかもしれません。

自分の故郷の街並みを愛する人は、何十年も同じ風景を撮り続けるかもしれません。

 

Gumroadは「何が商品たりえるか」を問い直したのだと思います。

その結果、『自分の価値観と向き合い、大切なことを記録する、アウトプットする』という意識が社会に浸透していくとしたら、これまでになかった新しい「商品」の流通が始まるのかもしれません。